芥川の「南京の基督」を読む

南京の基督,芥川龍之介,読書

芥川の作品の中に何気に多いキリストネタ。

南京の基督(キリスト)を読む。

南京に住む少女。

頬杖をついてスイカの種をポリポリかじる。

彼女の仕事は娼婦。

容姿は普通なのだが、気立ての良さ

物腰の柔らかさ、優しさで人気があった。

年老いた父親を養う為、夜な夜な客を引き込んでいた。

客に「なぜこんな事をしているのか」と問われれば

「他に方法がない」「仕方がない」と答える。

そんな彼女には信仰があった。

ローマカトリック。

部屋には十字架が飾ってある。

こんな仕事をしていても仕方がないという状況に、

こんな私でもきっと神様は許してくださる

という非常に前向きな信仰。

ところがある日、この仕事によって

危険な感染症にかかってしまう。

彼女は客に移してはまずいと客引きをやめる事にする。

部屋に友人が遊びに来ると

「他人に移せば治る」とアドバイスを受けるが少女は頑なに拒否。

他人に迷惑をかけることを良しとしないのだ。

客が来てしまっても会話だけでその場をしのぐ少女。

病は一向に良くならなかったのだが。

ある日言葉の通じない男が部屋をたずねて来る。

どこかで見たことがある顔。

しかしいつもと同じように、会話だけで場を凌いでいると

指を二本突き出してくる男。

首を横に振る少女。

三本に増える。

首を横に振る少女。

そんなやり取りが指10本目まで続いたところで。

彼女の首から十字架がふっと落ちた。

そしてその十字架を見てハッとするのだ。

「こいつキリスト様に似てるんやん!」

つかキリスト!もうキリスト!わーいキリストキターっ!

自分を救いにやってきてくれたに違いない。

糸が切れたようになってしまう少女。

そしてなすがままになってしまう。

少女は夢を見る。

沢山のご馳走を与えられる夢を。

そしてキリストとのすこしの会話を終え、目が覚めると

男は居なくなっていた。

「あれは夢だったのかしら」

しかし部屋中に残る彼の痕跡。

報酬も貰ってない事に気がついたが、

何よりも、病がぱったりと、治っていたのであった。

…話はこれで終わらない。

この不思議な話を、冒頭に「なぜこんな事をしているのか」と

尋ねた客に話す彼女。

しかしこの客は、この話の男に心当たりがあった。

「俺はそいつをしっている」

「日本とアメリカの混血児だ」

「やつは南京で女を買って、その女がスヤスヤと

眠っている間に逃げたと話していた」

「そしてその後悪性の感染症から気が狂ってしまったのだ」

男は、その話を少女にしようか迷う。

そして少女に問うのだ

「その後、一度も患わないのかい?」

「ええ、一度も!」

というわけで、掲題にキリストと入るものの、

なんだか信じていいのか悪いのかな話で。

そして病は気から。

精神の状態は実際に体に作用する。

芥川がそのことを題材にしたのかはわからないが

プラシーボ効果というのをご存知だろうか。

実際にはなんの有効成分もない薬を

「これは薬である」と渡されると

それを信じ込んだ人間の体には実際に作用する事がある。

思い込みは実際に体に作用するのだ。

そう考えると、信仰というものは無駄で無いように思えるし。

さらに逆転の発想。

自分を信じられない人は、力を発揮できない

そういう根拠になりえるかもしれない。

信じるものは救われる。

のかな?

オワリ。

読書

Posted by きかんほうさん