「華氏451度」を読む

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レイ・ブラッドベリ著のSF

「華氏451度」を読んだ。

初版1953年なので、まぁ古い作品である。

 

タイトルの華氏451℃とは

摂氏でいうと233℃くらい。

紙が自然発火する温度らしい。

 

物語の大筋はこうだ。

 

そう遠くない未来。

超管理、超監視社会となった世界では

あらゆる外的ストレスから開放される為に

さまざまな文化を排除。

 

中でも本を読むことは重罪である。

所持しているだけで処罰の対象だ。

 

統制された共通の文化だけが与えられ

仕事と娯楽に浸るだけの日々。

 

人々は考えることを止め、自我を失っていた。

 

そんな人々の1人である主人公は

昇火人(ファイアーマン)。

通報を受けて本を焼く仕事についている。

 

彼が

 

感受性豊かな隣家の少女と会話したり

仕事柄、焼却しなければならない本に触れたり、

少々狂った妻や上司と対話していく内に

自我を取り戻していく。

 

大雑把に言うとそんなお話である。

 

 

なんとなく図書館戦争に似ている?

といってもわたしは図書館戦争を読んだ事がない。

テレビでやっていたのをチラッとみた程度なので

なんとも言えないか。

 

あとあれだ。

毛沢東の文化大革命を思い出した。

政府の認める文化以外を徹底的に破壊した

よくわからん革命。

 

 

文化の象徴たる本は人類の記憶の倉庫なのだ。

そこには笑いや感動など娯楽要素以外にも

歴史や哲学、人類の反省などが含まれている。

 

未来に繋がる想いが、込められているのだ。

 

本のない人類は迷い、狂い、退化し、

同じ失敗を繰り返すのかもしれない。

本書は、人の脆弱さと

本の大切さを同時に説いているのだと思う。

 

同時に、本のない世界なんて壊れてしまえという

念もこもっている気がするw

 

統制された文化の中、共通の話題だけを話し

極力相手のプライベートには触れない

そんな腫れ物に触るかのような

周囲とのやり取りがやけにリアルだ。

 

少しも踏み込まない浅い人間関係には

情もなにも生まれないのかもしれないなと

痛感してしまった。

 

 

考えることを止め、

娯楽に興じる人々の多くは弱く、

やがて精神に異常をきたし、自殺していく。

 

上辺だけの世界。

 

痛快娯楽作ではないが、

哲学的なこの一冊を読むことは

人生にとってなかなか有意義なのでは

ないでしょうか!!

 

 

2016年の終わりに

本書を読み終える事が出来てよかった。

 

母に薦めてみるかな。

読まないだろうなぁ…嫌がる顔が目に浮かぶ。

 

オワリ。

 

読書

Posted by きかんほうさん