芥川の「歯車」を読む

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購入した芥川龍之介の本、最後の一編である「歯車」。
この本の中で河童の次に長編であるこの作品。
芥川の「遺稿」である。

晩年の彼については誰もが知ってのとおり
自ら人生を閉じるわけだが
その直前の精神状態をそのまま文にしたような作品が
この「歯車」である。

端的に言って支離滅裂な文脈の作品であり…。
いや、これは作品と呼ぶべき物なのだろうか
読んでいてつらい、というのが正直な感想だ。

この作品を書き起こしている彼は
疲弊していてとてもデリケートな存在。
些細なことで気分を害してしまう

そしてそのストレスから避難するように
1人になれる場所や家族親族しか居ない場所に
心の安寧を求めるのだ

他人には到底理解できない繊細さ
他人を気遣う余裕のなさを持ち合わせたまま
その時々の思いや感情をそのまま文章にする。

ムラがあり、不安定な思考を
そのまま文章にしているので
他人が読めば支離滅裂と思える文章になるのだろう。

この作品の最後の言葉
「眠っている間にそっと首を絞めて殺してくれる者はいないか」

人生の苦しみから開放されんが為に
彼が出した答えはこのセリフの中にあるのだろう。

しかしこのセリフから、
自害という逃げや諦めともとられかねない選択をするよりは
自然に委ねたいという気持ちもあったのだろう、
とも感じるのだ。

プライドの高さ、強すぎる思い
他人を理解できず、自分も理解されず、
ただただ孤独に陥っていく彼。

地位や名誉や家柄、資産、そして家族や友人など
私よりもはるかに恵まれているように思える
そんな彼なのだが
誰も彼の孤独を救う事はできなかったようだ。

文豪の最期の心情を露にしたこの「歯車」。
文献としての価値はあるのだろう。

実を言うと私にも
ちょっとした事でネガティブになってしまう時期があった
自分のすべてが不運不幸と感じてしまい
自己を否定し、外との関わりを避け引き篭りがちになってしまった。

その精神状態は彼ほどトゲトゲしい物ではなかった。
そんな時でさえ漠然と、
ただ何かに救いを求めていただけだったのだ

はっきりとそのように考えていたわけではないのだが
根底には間違いなくそのような甘えがあった。

いつか誰かが、何かが自分を救ってくれる
自分に都合の良い展開になると心のどこかで思っていた

そうであったが故に、
引き篭もっても嵐が過ぎ行くのをただ待つだけ
そんな自分に嫌気が差し自己否定するという悪循環。

それでも、ある程度の時間を消化すると
なんらかの諦めとともに自分に足りないものに気がついた。
そして苦手な勉強に走った
小さな結果を得て、自信をつけようとしたのだ。

デリケートな精神状態になっていた自分には
小さな失敗すらも許されなかったので
確実に成功するであろう事に対し万全を期して挑む。

そしてそれは拙いながらも成功、現在に繋げる事ができた。
自然と、強さも手に入れたように思う。

今ではそれらの長い時間が、葛藤が、迷いが
人生でもっとも大切な時間であり、
それこそが遅いスタート地点だったのではないかと思っている。

ああ、なんかまじめだな。
ちっ。
オワリ。

読書

Posted by きかんほうさん