太宰の「駆込み訴え」を読む

太宰治,読書,駆込み訴え

太宰の「駆込み訴え」を読んだ。

師を殺してくれと懇願する男がいる。

差別をされてきたと言う。
意地悪くこき使われてきたと言う。
嘲弄されてきたと言う、耐えてきたと言う。

それでもさんざ庇ってきたが、
周囲は元より、師はその事に気がついてないのだ。
いや、気が付いていながら、なおあの態度。
と言うのだ。

師は聖人君子だった。
人望を集め、周囲から崇められていた。
師の世話をしてきた男は、師に言われるがままに
食料を準備し、民に分け与えた。

師は、パンがないのにパンを配ろうという。
それをどうにかやりくりし、実行してきたのはこの男。

この男は師を愛していた。
美しいと思っていた。だから尽くした。
見返りを求めていたわけではない、ただ一緒に居たいだけだった。
だがそれさえも手に入らないのだ。

師に想い人ができれば、男の想いは嫉妬に変わり、
殺意に変わり、そして、悪意に変わっていく。

というお話であった。
ようするに見返りが欲しかったのだろう。

無償の愛などないのだ。

人は常に見返りを求める。
それは物質的なものではないのかもしれない。
時間かもしれない、空間かもしれない。
その人にとって最も価値あるもののために
無償の愛は勝手に発動してしまう。
その見返りが、手に入っているうちはいいのだ。
いつか途切れてしまったら、その反動はすさまじい。

恐ろしい!
愛は悪意の根源にすらなるのだ!悪の素!怖い!
愛などいらぬわーふはははは!

え、こんな結論でいいのかな。俺はダメだと思うw
くっそ、なんてダメ人間なのだ俺は。
こんな男がいるのだから、世の中は不思議でいっぱいだ。

最後に、この物語の「男」は自分の正体を明かす。
まぁ裏切りの代名詞になるくらい有名な人なのだけど。

これ太宰流の解釈なのだろうか。
聖書とか読んでみないとわからないなぁ。
当時よく波風立たなかったものだ。
今こういう作品を発表したらいろいろと叩かれそうです。

-追記-
wikiで検索したところ、この解釈について
聖書にも詳しく書かれておらず
学者の研究対象になっているようだ。
いや文学って面白いな、うん。

読書

Posted by きかんほうさん