読書

芥川を読み終わったらどうしよう
はぁはぁ

六の宮の姫君を読んだ。

そこそこのお家柄の一家はつつましく暮らしていた。
静かな生活に満足していた。

ところが父はあっけなく亡くなってしまい
母も後を追ってしまう。

姫だけが残されるが、頼るものは乳母以外になく…
館の家具や高価なものは生活の為に少しずつ売られ
召使いも離れていく。

そんな姫に乳母が、縁談の話を持ちかける。
姫は気がすすまなかったが仕方なく男と会うことに。

見た目もよくて優しくて、そして頼もしい男。
男の力で館は潤い、召使いの数も増えていった。

姫は内心、うれしいとは思っていないが
館の為に、生活の為に男に頼りきりになってしまう。
そしてその生活の安らかさの中に、満足感を見出すようになる。

だがその男も、父親の仕事の都合で遠くに行くことに。
仕事の任期は5年。
父親に内緒で姫と結婚をしていたため
今更打ち明ける事もできず、姫を置いていくのだ。

「5年待っててねベイベー!」

そして6年待っても帰らない男。
男は仕事先で別の女と結婚、酒を酌み交わしていた。
しかし姫の事を忘れていたわけでもなく、
9年後にようやく帰るのである。

おいおい。
そんなんでいいのか。
いいか。

旅の片付けもせず、姫の元に向かう男。
ところが、すでに館はなく。

その後も方々探し回り、ついに姫をみつけたものの
物乞いの法師に抱きかかえられていた姫は
すでに息も絶え絶え。

そしてそっと息を引き取った。

その場所、朱雀門では
女のすすり泣く声が聞こえるという噂がたつ。
通りがかりの男は法師に尋ねる。
「聞こえるってのは本当かね」

「あれは、地獄も極楽も知らぬ不甲斐ない女の魂である…」
「念仏を唱えてやってくだされ」

というお話であるのだが。
はてさて。

平凡さも罪、と言う事だろうか。
安易に心の安寧を求めてはいけないと言う事だろうか。

姫は誰かを頼ることでしか生きていけない女であった。
それさえやめた瞬間、死は決定していた。

例えば、もっと良い生活に憧れて努力することをしていれば
こんな事にはならなかったのかもしれない。

あるいは、物乞いの生活の悲惨さを知っていれば
世の中の残酷さをしっていれば、
そうならない努力をしたのかもしれない。

そのどちらもできなかったのは。
姫自身が安易に安寧を求めてきた結果。
流されて流され続けた姫。

少しは欲が、自我があれば
また違う結果も見えてきたのかもしれないのだ。

かなり深い作品ではないだろうか。
なんとなく、太宰の「人間失格」を思わせる。
前回の「雛」とあわせて推したい作品である。

オワリ。

読書

今日は休みだったので本を読んだりDVDを見たり。
人類の文化に触れる。

良家の一族、商売に手を出して失敗。
おまけに火事にもあう不運、なかなかのピンチであった。

そんな中、雛を売る話が浮上。
相手も決まり、契約成立となった。

お鶴はこの雛が大好きであった。
というかお鶴の雛であった。

しかし手付け金も預かり
「もうお客の物だから」と父親に片付けられる雛。

ピヨピヨ…

それでも、事あるごとに
「最後に雛が見たい」と切望するお鶴。
最初は相手にされてなかったがあまりのしつこさに
兄にその都度、怒られる。

雛を送り出す前日、ふと目覚めたお鶴は物音に気がつく。
細目を開けると、横を向いて座っている父親。
そして、その視線の先には、薄暗い行燈に燈された
雛が飾り付けてあったのだ

厳格な父が見せた女々しい姿。
その光景に、いまだに夢と現の区別がつかない
老婆お鶴のお話であった。

雛なんか売って金になるのかな?
と思っていたが違った。雛人形の事だった。
途中、ピヨピヨと入れたのは悪意である。

すまない

私が書くあらすじではわかりにくいと思うが
この家族にとってこの雛人形は
相当に思い入れのある、特別な物なのだ。

それを売ると決断した父と、その思いを汲む息子が
冷たく見えるのだが、それは全てを察しての事。

どうしようもない現実に直面し、特別な何かを手放す。
その決断と、家族の理解と諦めと。

そんなものが入り混じった、感傷的なお話だった。
芥川作品の中でも私は、この作品結構推したいかも。

オワリ。

読書

月曜の憂鬱な気持ちを紛らわそうと
出勤途中のバスで開いた芥川。
そしてそのまま読み終えてしまったという。

読むのが早くなった!
のではなくて、単に短いだけだ
舞踏会より短かったと思う

少年良平は、鉄道敷設の為の土木工事で使われている
トロッコがすきだった。

「のりてえ」
いや贅沢は言わん。

「押すだけでも」

しばらく工事でトロッコが利用されてる様を
眺める日々を送っていたのだが。

ある日誰もいないのを見計らって現場に突入。
兄弟とトロッコで遊び放題遊ぶのである。

するとおっさんと言う名の鬼があわられるのだ
「だれじゃあ!トロッコで遊んでるガキャー!!」

良平と弟達は逃げ出した。
ザッザッザ。
トラウマのように、しばらくは鬼の形相が
目に焼きついていて離れなかったのだが
それも10日で忘れた。
「トロッコ…はぁはぁ」

そしてまた工事現場に行ってしまうのである。
もはや病気

今日の土木作業員は優しそうな男達だったので
ついに行動にうつる。

「俺が手伝だっちゃる!おしちゃる!」

強引にトロッコ押しに参加。
作業員は大喜び、がんがん手伝わせる。
そしてついにまた、トロッコに乗る事になるのである。
作業員とともに!はいよしるばー

ずんずん進んで押す
ずんずん進んで押す

そんな作業を繰り返した後だった。
だいぶ遠くまで来て、そろそろ帰りたかった良平に
驚きの事実が突きつけられる

「おっちゃんたち今日ここで泊まりだから」
「おめーもう帰れよじゃぁな」

「…」
ここから歩いて帰るんかー!?
良平は走って帰って
暗くなった頃ようやく帰宅しわんわん泣いたとさ。

以上。
だからなんだ!と思ってはいけない。
これは優しさと甘さをはきちがえた子供の
更正の物語なのである。

と言うと大げさだが。
そもそも危険な工事現場に入って遊んでいる子供に
怒鳴りつけてくれた男は良識的な男なのだ。
少年の心には鬼の形相が焼きついたが。
そんな程度の事で済んだのだから

ところがその後に出会った作業員は甘いだけで
最後子供をどうでもいいと言わんばかりに突き放す。
結果、良平は暗くなってからようやく帰宅となったのだ。
少年にはさぞ怖かったことだろう。
何かあったらどうするんだ。

うーんしかし。
子供ってのは時にどうしようもないよねぇ…
子育ってって難しいだろうな。

オワリ。

読書

芥川の「藪の中」。

実は芥川の作品でもっとも読んでみたかった作品。

「真相は藪の中」という言葉の元になった作品である。

興味がわかないわけがない。

 

この物語は、1つの殺人事件を中心に

7人の人間の証言からなる物語である。

 

1人目、通りすがりのきこりの証言

「今朝な!死体見た!胸元に一傷だべ」

「場が随分踏み荒らされていたから一悶着あったんじゃね」

 

2人目、旅の法師の証言

「死体の男ならば先日の昼頃みた」

「白馬に乗った女と一緒に、関山の方へ歩いていった」

 

3人目、犯人を捕らえた人の証言

「昨夜の午後八時頃、犯人の多襄丸を捕縛した」

「白馬から落馬して苦しんでいた」

 

4人目、馬に乗った女の母親の証言

「男の名は金沢武弘、女はその妻の真砂で、自分の娘じゃ」

「昨日、若狭に向かった」

 

5人目、殺人事件の犯人である盗人、多襄丸の証言

「女を手ごめにした後、女を掛けて男と決闘した」

「男殺して勝ったけど女いなくなってやんの!」

 

6人目、清水寺にいた女の証言

「盗人に手ごめにされて夫と心中しようとして刺した」

「自分は死にきれませんですた」

 

7人目、殺された旦那の証言(イタコ経由)

「妻は盗人に汚されたあと盗人に口説かれてOKした」

「そして盗人に俺を殺してくれと頼んだ」

「盗人は引いて、妻を殺していいかって問いかけてきた」

「妻逃亡!盗人も俺の縄を一本だけ切って消えた」

「小刀が落ちてたんで胸に刺して自害した」

「そのあと誰かが小刀を抜いて血が一気に噴出した」

「誰がそうしたのかはわからない」

 

 

だいぶ簡略化しているが、つまり

この証言者達の証言にはいくつかの矛盾があるのである。

 

この物語についてこれまでさまざまな議論がなされ

真相を究明しようという流れもあったようなのだが

 

捕まってもう極刑にしてくれと言う多襄丸と

罪を認め寺で懺悔している女、

そして殺された男の証言さえ食い違っている。

 

それぞれの価値観には相違があり

それぞれに言いたくない事実があるが

最後の最後だからこそ、事実を曲げてまで

通したい意地があるのだろう

 

3人が3人とも

人間の醜い本性を垣間見てしまったが為に

それを隠すことで自分を守っているのだ。

 

故に隠された真相とは、

 

「恐ろしく醜い人間の本性」

 

あると思います。

オワリ。

読書

芥川の作品の中に何気に多いキリストネタ。

南京の基督(キリスト)を読む。

南京に住む少女。

頬杖をついてスイカの種をポリポリかじる。

彼女の仕事は娼婦。

容姿は普通なのだが、気立ての良さ

物腰の柔らかさ、優しさで人気があった。

年老いた父親を養う為、夜な夜な客を引き込んでいた。

客に「なぜこんな事をしているのか」と問われれば

「他に方法がない」「仕方がない」と答える。

そんな彼女には信仰があった。

ローマカトリック。

部屋には十字架が飾ってある。

こんな仕事をしていても仕方がないという状況に、

こんな私でもきっと神様は許してくださる

という非常に前向きな信仰。

ところがある日、この仕事によって

危険な感染症にかかってしまう。

彼女は客に移してはまずいと客引きをやめる事にする。

部屋に友人が遊びに来ると

「他人に移せば治る」とアドバイスを受けるが少女は頑なに拒否。

他人に迷惑をかけることを良しとしないのだ。

客が来てしまっても会話だけでその場をしのぐ少女。

病は一向に良くならなかったのだが。

ある日言葉の通じない男が部屋をたずねて来る。

どこかで見たことがある顔。

しかしいつもと同じように、会話だけで場を凌いでいると

指を二本突き出してくる男。

首を横に振る少女。

三本に増える。

首を横に振る少女。

そんなやり取りが指10本目まで続いたところで。

彼女の首から十字架がふっと落ちた。

そしてその十字架を見てハッとするのだ。

「こいつキリスト様に似てるんやん!」

つかキリスト!もうキリスト!わーいキリストキターっ!

自分を救いにやってきてくれたに違いない。

糸が切れたようになってしまう少女。

そしてなすがままになってしまう。

少女は夢を見る。

沢山のご馳走を与えられる夢を。

そしてキリストとのすこしの会話を終え、目が覚めると

男は居なくなっていた。

「あれは夢だったのかしら」

しかし部屋中に残る彼の痕跡。

報酬も貰ってない事に気がついたが、

何よりも、病がぱったりと、治っていたのであった。

…話はこれで終わらない。

この不思議な話を、冒頭に「なぜこんな事をしているのか」と

尋ねた客に話す彼女。

しかしこの客は、この話の男に心当たりがあった。

「俺はそいつをしっている」

「日本とアメリカの混血児だ」

「やつは南京で女を買って、その女がスヤスヤと

眠っている間に逃げたと話していた」

「そしてその後悪性の感染症から気が狂ってしまったのだ」

男は、その話を少女にしようか迷う。

そして少女に問うのだ

「その後、一度も患わないのかい?」

「ええ、一度も!」

というわけで、掲題にキリストと入るものの、

なんだか信じていいのか悪いのかな話で。

そして病は気から。

精神の状態は実際に体に作用する。

芥川がそのことを題材にしたのかはわからないが

プラシーボ効果というのをご存知だろうか。

実際にはなんの有効成分もない薬を

「これは薬である」と渡されると

それを信じ込んだ人間の体には実際に作用する事がある。

思い込みは実際に体に作用するのだ。

そう考えると、信仰というものは無駄で無いように思えるし。

さらに逆転の発想。

自分を信じられない人は、力を発揮できない

そういう根拠になりえるかもしれない。

信じるものは救われる。

のかな?

オワリ。