読書

芥川の杜子春(とししゅん)。

はるか昔の中国、洛陽(らくよう)でのお話。
洛陽にて、杜子春という男が途方に暮れていると
老人に声をかけられる

「どうしたかね」
「無一文でどうしたもんかと」

素直に答える杜子春。すると老人は言う
「夕日に影をうつして頭の部分をここほれわんわん」

実行してみるとそこには金塊の山が!

一夜にして大金持ちになる杜子春。
そこから家を買い、贅の限りを尽くした生活を始める。

金あるところに人あり。
自然と彼の周りには人が集まるようになり、
洛陽で杜子春の名は知れ渡る事となる。

だが杜子春の金はすぐに底を尽きる。
金がなくなると人は離れていき、そして誰もいなくなった。

またも途方に暮れる杜子春。
するとまた例の老人が現れる。

「どうしたかね」
「前と同じ」
「そうかじゃぁ、前と同じ。でもちょっと下」

夕日に影をうつし、影の腹の辺りを掘るとまた金塊の山!
再び大金持ちになる杜子春。
贅沢三昧でまた人が集まるが金は3年で底を尽きた。

二度同じ過ちを繰り返した杜子春。
同じように途方にくれていると、また例の老人が現れる。

「どうしたかね」
「前と同じ」
「そうかじゃぁ…」

「まて」

杜子春は「もう金はいらない」と言い放つ。
どうやら人に絶望したらしい。

「あなたは仙人でしょう?私を弟子にしてくれさい」
「おうけい」

そうして仙人試験がはじまる…。
とある場所に連れて行かれ
何があってもしゃべるなと命を受ける杜子春。

さまざまな脅しにさらされる事となるが
決して声を上げない。
果ては肉体を失い地獄の閻魔と対面する事となるが
そこで変わり果てた両親と再会する。

「声をださんかー」

両親を痛めつけるひどい閻魔大王。
鬼か。

しかしそこで、母が杜子春を察して言うのである
「気にしなくても大丈夫なのよ~」

肉親の優しさに触れ、ついに声を掛けてしまう杜子春。

とたんに試験は終了。
現実に引き戻される杜子春。

「終了~!到底仙人にはなれまい」

だが杜子春は言う。
「あそこで声をだして良かった」
「もっと大事なものを手に入れたのです」

それを聞いた仙人は言う
「あそこで声出さなかったらお前ぬっころ予定っすよ」
おいおい、袋小路ではないか

最後に仙人は
杜子春に自分が住んでいた家をやると言って
姿を消すのであった。

と言うお話。
杜子春は一人で途方に暮れていたが
金が入ると人が集まる。金が無くなるといなくなる。
それを二度繰り返した事で、
自分ではなく金に人が集まっている
という事に気がついたのかもしれない。

他人に絶望したのか
自分に絶望したのかはわからないが
とにかく杜子春は人が嫌になったのだ

そこで仙人になる決意をしたのだが
その過程で、自らに新しいものを見出した。

最後に杜子春は言う
「人間らしい正直な生活をしていくつもりです」

さて、この杜子春。
かなり普通の男のような気がするのだが
仙人に出会ったことで二度も贅の限りを尽くした生活を体験
地獄の苦しみを味わったものの最後には家までいただいて

ちょっとラッキーすぎやしませんか!
正直うらやましいです。

オワリ。

読書

読みずらい…とにかく読みずらい
芥川の「奉教人の死」
たった10数ページの作品だというのにとても読みずらく
何度挫折しそうになったかわからない

何度か本を開くうちに読むのが嫌になり
ブログでの感想を一言
「誰か説明してくれ」
で終わらせる案まででていた(脳内で

それほどまでに最悪に読みずらい作品
何しろ本来英語であるはずの言葉をローマ字からひらがなに変え
「さんたるちあ」だの「えけれちあ」だの「でうす」だの
「ぜす・きりすと」だのとにかく短い内に頻発しまくる

読みずらいわーっ!!!

こんなんでいいのか世に名を馳せる文豪よ
と問いただしたくなる作品である。

寺院「さんた・るちあ」に「ろおれんぞ」なる人物がいて
この人は飢えて倒れているところを寺院の人間に介抱されたわけだが
聞けば出身は「はらいそ」(天国)、父は「でうす」と言う。

最初は嘲笑されていたものの、
手首には青玉「こんたつ」を巻いており
どうやらそれによって同門だとわかったので
そう怪しい者ではないだろうと「さんたるちあ」に受け入れられる。

ところがこの「ろおれんぞ」、外の娘との噂が立つのである。
いつしか娘は妊娠、その父親は「ろおれんぞ」だとのたまう。

「ろおれんぞ」は否定するものの、ついには寺院を追放され
「えたひにん」、つまり乞食同然となってしまう。

そしてそのあと町は大火に見舞われるのだが、
娘の赤子、つまり自分の赤子と目されている赤子を
身を挺して救う「ろおれんぞ」

まさに命を懸けて子供を救った「ろおれんぞ」の姿に
娘は全てが嘘であったと告白
そして死の間際の「ろおれんぞ」の衣服は焼け焦げて肌が露出
実は「ろおれんぞ」は女性であったという事実がわかり

「ろおれんぞ」に疑いの眼差しを向け、追放した者達は
咽び泣きながら祈りを捧げると言う

そんなお話である。

なるほどそうか!という感想は書けない。
それほどまでに読みにくい作品。
やっと終わった…先にすすめるぞ…という安心感すらある。

太宰の後に芥川を読んでいるわけだが
文豪と呼ばれる人たちの作品の中には
たまにこんな作品があるから恐ろしい…

はっきり書いてしまおう、面白くない!
ただただただ読みにくい!
そんな作品である(爆)

※全国の芥川ファンの太宰様どうもすいません

読書

「旅に病むで夢は枯野をかけめぐる」

松尾芭蕉、辞世の句。
故人となる五日前に読まれた一句

このお話は、芭蕉の最期を囲った者達の
心情を書いたもの。

すでに動くこともできない芭蕉。
静かな雰囲気の中、筆に水をやり、
一人づつ芭蕉の口を濡らして行くのだが
それぞれに思うところあり

例えば師との別れをなんとなく想像していたが
若干の安心感をもってしまった者もいて
それを悟った者同士が目を合わせると
不謹慎なその気持ちを悟られまいと視線をそらす

口にはださない感情の流れというか
そういう微妙な雰囲気が書かれているのだが

天下の大俳人の最後とはいえ
周囲の人間の心情なんて現実こんなもんだよねと
そんな冷めた気持ちで読んでしまっていた

しかし最後の最後にはしっかり
葬儀のような気持ちにさせられてしまい
目頭が熱くなりなんとなく黙祷してしまうような作品

その最後の心情だけが心に残り
それ以外の細かいことはまるで頭に入らず

ん?どの弟子がなんだっけ?

何度か読み直して感想を訂正しようと思ったが
やっぱりやめた

作品がアンニュイな感じだと感想もなんだか…
文章でありながら感情に訴えかけることに
重点を置いた作品…なのか?

あああ。

おわり。

読書

芥川龍之介を読み進める。
というか既に2話読んでいるのだが
PC不調騒動でそれどころではなかった。

「地獄変」
これはちょっと胸糞の悪い話である。

地獄変とは地獄変相図の略。
地獄を描いた絵の事である。
地獄はおっかねぇとこだから!だから良い行いをしよう!
というような事を伝える為に描かれたものだという。

はるか昔、良秀という絵師がいた。
地獄変を描かせたら右にでるものはいないのだが
性格も口も悪く嫌われ者の変人。
しかし、たった一人、自分の娘にだけは愛情を注いでいた。

彼の絵の描き方。
見ていないものは描けない。
つまり地獄を描くなら地獄を見る必要がある。

連日の悪夢や、動物を弟子にけしかけて驚いた様など
それで9割完成したといっていい地獄変。
しかし良秀には描けない部分があった。

そしてその部分の為に、地獄変完成の為に
最愛の娘を火あぶりにかけてしまう。

こ…この時のためにこいつぁ…なんて勘ぐってしまう。
もちろん物語の中でも良秀は批判の嵐に晒される。

その後、良秀は地獄変を完成させて自害。

作品だけが世に残るのだが、その作品は
良秀を正面から批判していた坊主でさえ

「あのやろうやりやがった…」

と言わせる程の出来栄えであった。

途中から「良秀おい」と感じていた俺は
完全に坊主視点であり
「絵の為に娘をこのやろう」くらいの心持であったのだが
その坊主が納得してしまっては怒りのやり場に困る

実際に地獄変を見た坊主と
文字列の読者でしかない俺ではそもそも違うのだ。

さて、坊主が見た地獄変とはどんな作品であったのか。
批判を覆してしまう程のパワーをもった地獄の絵。

興味深い。

読書

ぐったり
疲れて電車で座った時に読んでやりました。

「蜘蛛の糸」

極楽でお釈迦様が地獄を覗いてみると
大盗賊の犍陀多(カンダタ)が見えた。

え、カンダタってあれですか。
ドラゴンクエストですかね。
そういや「まだらくもいと」なんてアイテムあったな。
こいつが元ネタなのか!

本を読む習慣があればとっくに気が付いていたかもしれない。
漫画と雑誌しか読まなかった頃の自分が懐かしい。

でも本を読むようになっていたからといって
芥川を読んでいたかはわからないし
まぁ全くの偶然もあって、ともかく今読んでおります
はい。

で、お釈迦様は犍陀多(以降カンダタ)の
悪逆非道な行いを知ってはいたものの、
たった一つの善行を見逃していなかった。

それはまさに、一寸の虫にも五分の魂。
カンダタのくせになまいきにも。
踏み蹴散らそうとした蜘蛛に慈悲を与え
見逃してやったことがあったのだ。

そこでお釈迦様は地獄で蠢き苦しんでいるカンダタに
一筋の救い…
極楽に繋がる一本の蜘蛛の糸を
垂らすのである。

待ってましたとばかりにカンダタ、糸に飛びつく
爆釣の予感

針も餌もねえのに!

うおおすごい引きだ…チョロい釣りである
お釈迦様はたぶん苦笑いしたと思う

釣れたのはカンダタだけではない
蜘蛛の糸に捕まるカンダタを見て他の悪人もワラワラと

おまえらは小あじか、とお釈迦様も思ったと思う

そしてこの、細い蜘蛛の糸である。
このままでは重みで切れると思ったカンダタ

「お前らは降りろ!これは俺の(ry」

自分だけ助かろうとするカンダタを見て、お釈迦様は
ちょっとニタニタしながら糸を切ったんだと思う。
その後なかったことにして寝転がってテレビを見たね。

たぶんね。

カンダタの思惑はともかくとして
神の気まぐれに振り回される人間というのも
滑稽なものである。

オワリ。